解かっているけど言葉にできない。
語言化してアウトプットする。解かる所まで言葉にして行くと、行き詰ってしまう。それは理解出来ていないのであって「解かった気になっているだけ」と気付く事が出来る。「考える」という行為は言葉を使って考えている。つまり、言葉を使わずして考える事は出来ないのです。
紙に書き出したり、誰かに伝える事でチェックは出来る。ちゃんと説明出来なかったり、辻褄が合わない所に気付く事が出来る。「考える」という事に必要性を持たなければならない。つまりは「考え抜くこと」である。
この「考え抜く」という言葉だけを見ていては、非常に重く感じ「やってられへんわ!」「それが出来たら苦労せんわ!」と思ってしまう。それは「考え抜く」に終わりがない。どこまでも枝葉に分かれてしまう。と私は思っています。
しかし、普段から情報を集められる様に脳にアンテナを這わすができる。それは「言葉のフィードバック」です。自分が気になるワードを意識的に書き留めたり、声に出してみる。仕事場や日常であっても、そのワードに脳が勝手に敏感に反応し、そのワードに関連することを収集しようと集中力を高めてくれる。
知識や情報が集まり自分の中でリンクしていく。それをまた、語言化していくと問題が生まれる。そしてまた考える。「考える」という行為は「問題を作って行く事」なのかもしれない。しかし、それが「学び」であると思います。
自分の思考が停止している一つとして、「常識」「普通」等の言葉をよく使うのであれば、根拠や理由を探ってみる必要がある。「常識」「普通」という言葉を使う事で、思考停止になっています。「みんながやっているから、あなたもやりなさい」と押し付けているだけです。行動の目的や必要性を考える事が本来必要である事に気付かなければならない。
「解かっているけど、言葉に出来ない」は「解かったつもり」なだけ。情報を集め、考え抜く。

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